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卒論日記〜終わるのか!卒論!〜
こんばんは。ゼミ長の阪元です。打ち合わせなしで取り組んだ、38物語どうでしたか?
各々のセンスが無理やり引っ張り出され、みながヒィヒィ言ってました。私もです。

今回からは、卒論日記へと姿を変えます、今までふざけ倒していたブログが急にアカデミックになるはず...です!みんなの一喜一憂が伺えるブログになることでしょう...

まず、私の卒論のテーマは、
「YMOは、サブカルチャー史においてどのような存在であったか」
です!このテーマに至るまで、紆余曲折があったのですが、そこは割愛して...
サブカルチャー史において、1980年頃は、重要なターニングポイントとして、考えられています。その当時に、非常に人気だったYMOを調べることで、その転換期を新しい角度から明確にしたいと考えて、このテーマにしました。表向きは。笑
本当は、YMOが好きだからなのです...笑 しかし、ただの、「好きなもの調べ」にならないように意識しております!笑

仮説は、次のような感じです(草稿から抜粋)。

YMOのスタートは、外国人の目から見た日本人のステレオタイプをあえて演じるポップス的「シャレ」と、東京という都市を「TECHNNOPOLIS」と読み替えることで音楽を風景として読み込む空間演出的な「オシャレ」の二つの側面があったが、最終的には、軽薄な流行としてその歴史に一旦、幕をおろす。この流れにおいて、YMOの活動は、演じる「シャレ」、空間演出する「シャレ」、そして、軽薄な流行としてのオシャレと、その音楽性やヴィジュアルを変化させる。この流れは、当時のサブカルチャー史とリンクしている。当時のサブカルチャーの担い手であった集団の変化とリンクしている。「シャレ」 を好むオタクと、「オシャレ」を好む新人気類が共存していた原新人類的集団が分出し、分出した新人類的な人々は、軽薄な「オシャレ」へと移行していく。この現象か表出した現象がYMOであったと考える。

です。この仮説は、宮台真司、石原英樹、大塚明子による『サブカルチャー神話解体』(ちくま文庫)から、着想を得ています。しかし、今、進めている調査だと少し違うかなと感じています...この三つの段階が、調査結果にしっかりと現れていないのが、正直なところです...。

調査方法は、YMOが活動していた1987〜81年の雑誌を調べ、イメージの変化を追うといったものです。今は、大衆誌の調査が終わり、その分析を行っているところです。音楽雑誌も、調査する予定なのですが、まだ進んでいません。やばいです...。

友達の
「やるか、やられるか、じゃねぇんだよ!やるか、やるかなんだよ!Do or Do」
っていう謎の言葉が、最近、頭の中でリフレインしています。ってぐらいやばいです。

まぁ、余談はここまでで。

現段階の調査結果としては、YMOのイメージは、3段階に分類することができました。 78年から79年12月頃までは、コンピューター、シンセサイザーから発想された無機的、機械的、難解、そのオリエンタルな衣装や、楽曲から発想されたオリエンタル性、無国籍性、そして、様々な要因から生まれた人間的というイメージがあり、かなりイメージが混在しています。しかし、一回目のワールドツアーをへて、記事の取り上げ方が異常に変わります。急激なヴィジュアルの消費が増えたのです。今までは、音楽に関わる写真、ライブの写真や、機材の写真が主だったのが、三人のオフの写真や、彼らのファッションの写真が増え、まさに流行としてのYMOへとイメージを変えます。そして、第二回ワールドツアーを終え、YMOの活動自体が減ると雑誌にめっきりのらなくなります。そして、久しぶりに紙面に登場した1981年の 7月、彼らは、ふざけ倒すのです。確かに、スネークマンショウとのコラボレーションを行うなど、元々彼らにそのような趣向はありました。しかし、それ以上にふざけたものだったのです。ここが、本当に面白いポイントなのですが、オリンピックとかでみるような体操のユニフォーム着た写真や、釣りしてる写真や、本当に脈絡のない写真が増え出すのです..。そして、その後、解散します。

うーん、不思議なグループだ。

複雑なイメージから、流行へ、そして、ネタ化する。

この流れが、サブカルチャー史的にどうリンクしているのか。ここがこの論文の核心なわけですが、ネタっていうのは、やっぱり、70年代から80年代のシラケを反映しているとおもうのですよね。じゃぁ、それ以前は?ってところなんですが、流行期は、ニューウェーブとかが出てきて、原宿あたりにニューウェーブ族?派?的な人々が生まれ出すのですが、それがいわゆる新人類にも分類されます。結論には、シラケ、新人類などのワードが重要になってくるのでは?とぼんやりと考えています。

初期の複雑なイメージの中には、敢えて演じるポップス的なシャレも少しだけですが、含まれています。このシャレが、YMOが流行すると共に、ファッションとしてのYMO=オシャレに変質して、それに触発された人々が、ニューウェーブとしての新人類が出てきます。そして、オシャレなYMOというイメージに対して、飽き飽きしたYMO本人たちが、敢えてふざける方法をとって、シラケの時代を体現した。といったような構図がぼんやりと浮かんでいますが、うーん、どうなんでしょう。このような形で、YMOとサブカルチャーの関係があるのでは?と考えています。

うーん、ほんとに難しいぞ。

まだ、音楽雑誌の調査も終わっていないし、当時の新人類などのカルチャー史的な部分のフォローも終わっていないので、当時の雰囲気などの知識が圧倒的に少ないのが今の所悩みです。文献をバンバン読んでいくしか、方法がないとはおもいますが....。

実際に、音楽雑誌内のイメージは、大衆誌とは全く異なってくると思うのですよね。それを、どううまくまとめられるか。そして、終わるのか!?笑

これからも、ながーい戦いが続く気がします。

それでは、ゼミ長の卒論日記でした!
さようなら!
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2014/11/25 | 卒論日記 | コメント(-) | トラックバック(0) | page top↑
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